僕はこの映画を見て2回涙を流した。
1回目は劇中、保育園の子供たちが畑の中に入り、泥だらけになりながら畑仕事をする、その姿に。
自らが植えた野菜を収穫し、心から「美味しい」と食べて喜ぶ姿は、人間が本来ある自然の姿だと感動した。
2回目は鑑賞後、帰宅途中に。
映画の中とは真逆に映る都会の賑やかさの中で、自然と涙が流れた。
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映画「いただきます ここは、発酵の楽園」に出会う
映画「いただきます ここは、発酵の楽園」はオオタヴィン監督によるドキュメンタリー映画である。
2017年に、「いただきます~味噌を作る子供たち~」が放映され、今作はシリーズ2作目に当たる。
職場の先輩から突然届いたラインに、この映画の予告動画が貼り付けてあった。
自然食品を扱う仕事をしている僕にとって、こういった映画は数少ない関心のある映画だ。
ただ、
「別に見なくても、内容は大体分かる」
といった具合にこれまでのこういった映画にはあまり期待が持てず、結局観ずに終わってしまうということがほとんどだった。
実は、今回も同じだった。
おそらく、有機農法の大変さを伝えて、有機野菜の貴重さを伝えるといった内容だろうと勝手に思い込んでいた。
正直、この時点で映画館に足を運ぶことはまったく考えていなかった。
しかし、結局僕は映画館に行くことになる。
予告動画を見た後、映画の内容が気になったので、公式ホームページを開いてみた。
映画の主役のように映る、外国籍のような顔立ちをしている少女の顔がとても印象的で、なぜか心に引っかかった。
ちなみに、同僚や知人にこの映画のことを聞いてみたが、誰ひとり知らなかった。
かなりマイナーな映画だろう。
その後も、なぜか少女の顔が頭に残っていて、考えれば考えるほど、強く頭に残る。
次の日になっても、少女の表情が頭から離れない。
仕方ない。
まるで、それを払いのけるためのように、僕はこの映画を観ることにした。
たぶん、自分が同じような年頃の子供を持つ親だからかもしれない。
そうして、映画館に向かったのは、この映画を知ってから1週間後、映画公開からは1か月以上経った、日曜日だった。
映画「いただきます ここは、発酵の楽園」のテーマは“菌”
タイトルにもあるように、今作のテーマは「発酵」。
つまり、菌だ。
劇中、頻繁に菌についてのメカニズムが解説される。
菌と聞けば、ウイルスなどと同じように、体に害を及ぼす感染症の原因とだけ捉えている人も多いかもしれないが、実際にはそういう有害な菌は、菌全体の700分の1しか存在しない。
この映画のメッセージの一つが、常在菌に代表される「良い菌」が人間の体や、植物の成長に置いて、欠かせない存在であるということ。
野菜をはじめ、すべての作物は土の中に存在する土壌菌の働きによって成り立っている。
また、日本人の健康を支えてきた味噌などの発酵食品は、まさに菌の力を利用して出来たもの。
いわば人間と菌の共同作ともいえる。
そんな菌の働きについても、アニメーションを使って非常に分かりやすく学べるのも今作の特徴だろう。
映画では、
- 山梨県のみいづ保育園
- 長崎県のマミー保育園
- 「菌ちゃんファーム」の吉田俊道さん
- 「奇跡のりんご」で有名な木村秋則さん
- 山形県高畠町
- 千葉県いすみ市
など、様々な取組みが順々に紹介されてゆく。
個人的には、山梨県みいづ保育園の「畑保育」がとても印象的だった。
子供たちの自然の中に身を置く生活が、都会にはない美しさとして映る。
園児たちは毎朝、自分たちが植えた野菜を収穫して、それを給食にする。
畑仕事は泥だらけになりながら。
いや、仕事だとは思ってないだろう。
本当に楽しそうだ。
子供たちはキラキラしていた。
鑑賞中、子供たちの無邪気な姿を見て、自然と涙が流れた。
映画「いただきます ここは、発酵の楽園」のメッセージ
どんな映画もそうだが、この映画を見ても、賛否両論はあるかと思う。
当然ながら、良い映画、悪い映画、の意見は出てくるだろう。
僕は映画評論家ではない。
ただの素人。一般人。
この映画が良いか悪いかは意見するつもりはまったくない。
ただ、
この映画を見れて良かった。
素直にそう思った。
これが感想だ。
鑑賞後、映画館を出て外に出てみると、そこには日曜日の都会の賑やかさがあった。
映像の中に映り出された自然の情景、そこに暮らす人々の姿とは、まったく異質の世界に身を置いた感じがした。
いつもであれば、休日に賑やかな街を歩くと自然と心が躍った。
しかし、この時、この街では緑を探すのさえ困難なことに気付いた。
なぜだか分からないが、自然と涙が流れた。
この日、2回目の涙だった。
少しして、この涙の意味を探ってみた。
答えはなんとなく分かった。
嬉し涙でも、悲しみの涙でもない。
きっと、この涙は汚れた心を洗い流してくれるものだと。
映画を見て、心が動いたのだと思う。
自分の体、心に巻きついた邪気に気付いたからだと思う。
かっこつけるつもりはないが、なんとなくそう思った。
自然の中に“人”が生きている
この文章はまさに書き殴っている。
きっと僕はこのあと、この感情を忘れて、日常に戻る。
明日にもなれば、これまでと変わらない現代社会の普通の生活に身を置く。
今の感情を大切にしたい。
自然に憧れる心を大切にしたい。
だから、この今の感情を忘れても、また思い出せるように書いておこうと思った。
この映画は、有機農法の素晴らしさ、大変さ、を伝える単なるドラマではなく、「自然の中に人が生きている」ことを教えてくれる。
いや、思い出させてくれる。
僕みたいに、「食の安全」について勉強してきた人は、とかく物事を良し悪しで言い合うことがある。
「これは危険」
「これなら安全」
それは別に悪いことじゃない。
でも、物事の原理、というか真理はもっと奥にある。深くにあるんだと思う。
それが「自然の中に人が生きている」ということだと思う。
人が自然を守る。
人が動物を守る。
というのではなく、「人が」が先にあるのではなく、「自然の中に人が生きている」。
あくまで、自然が主役。
人間は主役じゃない。
動物も植物も、そして、菌も。
この地球には、皆が共生している。
自然が主役。
環境汚染、環境破壊が進む今日、このことをもう一度考えなければならないのではないか。
除菌ばかりしている現代人は、特にだ。
この映画を観て、自分の心にまとわりついていた邪気が一瞬でも払いのけられた気がする。
自然に感謝することを忘れた傲慢な気持ちが少し薄らいだと思う。
それを「自然に還れた」という表現にしてもいい。
自分は、当たり前のように学校に行って、社会に出て、遊んで、仕事して、恋をして、家庭を持って、子宝に恵まれて、今に至る。
幸せな人生だ。
でも、この映画を見て、もっと大切な、人間として忘れてはいけないことを学んだ気がした。
自然に中に生きている、ということ。
菌と共に生きている、ということ。
体は食べ物で出来ている。
毎日の食べ物が体を作っている。
食べ物は腸の中で、菌によって体の糧とされている。
そして、その食べ物は自然の理によってつくられている。
現代の食は、あまりにも自然とかけ離れている。
農薬や化学肥料、食品添加物、水道水の塩素、マイクロプラスチック、空気中の汚染物質、電磁波、など。
この世界は確かに便利になった。発展した。
テクノロジーの進化によって、歴史上、最高の贅沢ができているのではないか。
でも、体はどうか。
心はどうか。
病気で苦しむ人は後を絶たない。
精神的な疾患が増え続けている。
自然。
自然の中に生きていることをもっと感じなくちゃいけない。
だから、自然じゃないものは体に入れない方がいい。
自然じゃないことはあまりやらない方がいい。
自然を忘れて生きていてはいけない。
もしかしたら、自分がそう思えたのは親のおかげかもしれない。
幼い頃、自然に触れることができたから、その時の記憶がこの感情を呼び起こさせているのかもしれない。
この映画を観れて良かった。
今度の休みの日、子供たちと一緒に緑の沢山あるところに行こう。
その次の休みには、子供たちと味噌を作ろう。
自然の中に生きているということを感じよう。
もし、この気持ちが薄らいだ時、「自然の中に人が生きている」ことを忘れてしまった時は、この文章を読み返そう。
できるならば、より多くの人にこの映画を観てもらいたい。